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Channel: 川上弘美:東京日記
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吉祥寺で、いろいろ、見る。

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四月某日 晴
 

 吉祥寺の街に出てみる。
 二時間のうちに、Mさんと、Gさんと、Sさんと、違うMさんと、Uさんの姿を見る。
 これって、学校の休み時間のお手洗いの中で友だちに会うよりも、もしかすると、高い頻度ではないのか?
 なんだか怖いので、どの人の時も電柱などの陰に隠れ、見つからないようにする。

146a.gif 

四月某日 晴
 

 また吉祥寺の街に出てみる。
 Dさんと、Kさんと、Yさんの姿を見る。
 この前と同じく、柱やビルの陰に隠れて、事なきをえる。
 今まで吉祥寺近辺に住んで十数年、街で知り合いの姿を見たことなど、ほとんどなかったのに、これはどうしたことだろう。

 

四月某日 晴
 

 吉祥寺から電車に乗る。
 ものすごく大股びらきをして座っている、会社に入ったばかりらしき娘さん(就業規約をじっと読んでいる)を見る。
 もちろんパンツは、まるだしである。

 

146b.gif四月某日 晴
 

 吉祥寺を散歩。
 腰までの短いシャツに、レギンスだけをはいて堂々と歩いている、ぽっちゃりめの娘さんを見る。
 何度見ても、お尻が、まるだしである。

 

四月某日 晴
 

 吉祥寺のジムで、運動体験をしてみる。
 女子更衣室でこそこそ着がえていたら、バスタオルをまきつけた六十代くらいの女性がのしのし歩きまわっている。
 ふつう、バスタオルをまきつける時は、胸が隠れるくらいの場所にタオルをぎゅっとまきつけるものだと思うのだけれど、女性はおへその上の位置にタオルをまきつけている。
 いきおい、両方のたれたおっぱいが、まるだしである。
 お手洗いでも、ロッカーの周辺でも、ドライヤーなどのそなえてある鏡周辺でも、出口にごく近い場所でも、女性はおっぱいまるだしのまま、のしのしと歩きまわっている。
 吉祥寺近辺の娘さん及びおばさまがたの間で、もしかすると「まるだし」がはやっているのだろうか。

 

四月某日 晴
 

 ちかごろの、吉祥寺でのさまざまな見聞に疲れて、いちにち家にいる。
 こうしてわたしがじっと家に蟄居している間も、吉祥寺では、無数の知人たち、そしていろいろまるだしの娘さんやおばさまがたが、闊歩しているのだろうか。
 途方もなく胸がどきどきしてきて、しばらく寝つく。そののち、がばりと起き上がって大掃除。


おそるべき結婚。

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五月某日 雨

 

 飲み屋さんのカウンターのはしっこに座っていた、古本屋づとめの男の人に聞いた話。
 江戸時代の古本には、死番虫という虫がつく。
 死番虫は、たばこに弱い。
 けれどたばこに強い死番虫も、いる。
 そちらの死番虫は、たばこ死番虫、と呼ばれている。
 死番虫は、通常の本につく紙魚(しみ)とは、まったく違う種類の虫である。
 自分(古本屋の男の人)は、死番虫がけっこう好きである。

 

五月某日 曇

147a.gif 

 飲み屋さんで、隣の五十代とおぼしきカップルの会話に耳をすませる。
 とてもていねいな言葉づかいのカップルである。
 どうやら京都の話をしているらしい。
「京都には、外国人さんがうじょうじょいらっしゃるから」
「ほんと、うじょうじょいらっしゃるわよね」
「でも、京都の外国人さんたちは、癒されていらっしゃるから」
「ほんと、癒されていらっしゃるから、いいわよね」
「東京の外国人さんたちは、だめでおられるような気がするな」
「そんなにだめでおられるってわけでもないんじゃないかしら」
 何かの罰ゲームなのか?

 

 

五月某日 晴

 

 編集者と、打ち合わせ。
147b.gif 途中で、結婚の話になる。
「結婚て、いったい何ですか」
 と、聞いてみる。わたしは結婚の途中で別居および離婚などしており、結婚についてはよくわかっていないような気がするので、時々人に聞いてみることにしているのだ。
「結婚ねえ」
 二十年ほど前に結婚してそのままちゃんと家庭をいとなんでいる編集者は、少し首をかしげた。
「あの、同じ言葉を何回も口の中で繰り返してると、その言葉が空中分解したようになって、さっぱり意味がわからなくなっちゃうことが、あるじゃないですか。長く続けると、結婚って、ああいう感じになってくるような気がしますよ。ほら、何て言うんでしたっけ。あそうだ、ゲシュタルト崩壊だ」
 ゲシュタルト崩壊ですよ、うん、ゲシュタルト崩壊。編集者は、ゆっくりと繰り返すのだった。

 

五月某日 晴

 

 編集者(この前のゲシュタルト崩壊とは違う人)と、打ち合わせ。仕事の話が終わったのちに、また結婚のことを聞いてみる。
「結婚ですか。結婚はねえ。すごいもんですよ、それも、三十年もの以上の結婚はねえ」
 三十年ものとか、三十五年ものとか、いろいろ、すごいんですよお。編集者は、ゆっくりと続けた。
「三十年もの。なんだか梅干しみたいですね」
「三十年もの、三十五年もの、四十年もの、四十五年もの、五十年もの、どんどんすごいことになっていくんですよお」
 編集者は、半眼になっている。そして、まるで呪いの言葉をつぶやくように、「三十年もの」、「四十年もの」、「五十年もの」と、繰り返し続けるのだった。

青黒い。

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六月某日 晴


 「性欲」がテーマの連作短篇集を、今年はじめに上梓したため、このところ「性欲」についてのコメントを求められる日々が続いている。
 今日は神保町に、雑誌『ユリイカ』の「女子とエロ」という特集のための対談に行く。
 ミルクレープを食べ、紅茶を飲みながら、対談相手の男性作家Tさんにたくさんの質問をする。Tさんはとてもいい人なので、すべてのエロティックな質問に、ていねいに答えてくれる。
 中でいちばん驚いたのは、
「セックスのあと、男はいつも哀しいんです」
 というTさんの言葉に、
「でも、毎回必ず、哀しいんですか。たまには、哀しくなくてあっけらかんとしている時もあるんじゃないんですか」
 と聞くと、
「いいえ、必ず哀しいんです。毎回、もれなくです」
 とTさんが答えたことである。
 毎回、もれなく? 一回の例外もなく?

 

六月某日 曇


 というわけで、身の回りの男の人の知り合いに会うたびに、
「セックスのあとって、哀しいんですか? もしそうだとしたら、毎回ですか?」
 と、聞きまくる。
 その結果は、以下のとおり。
   「毎回必ず哀しい」10%
   「けっこういつも哀しいが、毎回ではない」30%
   「たまに、哀しいような気がする」20%
   「今までに一回くらい、哀しかったような気がする」10%
   「ぜんぜん哀しくない」30%
 ちなみに、「哀しくない」との回答の人には、
「哀しくないとしたら、どういう感じなんですか」とも、聞いてみた。その結果の答えは、以下のとおり。
  「ばりばり」
  「相手を愛してると感じる」
  「たんに、ふつうに爽快」
  「生きてきて四十年、でもあんまりセックスをしたことがないからよくわからない」
  「青黒い感じ」
148b.gif 勉強に、なります。


六月某日 晴


  セックスについての質問に疲れて、街に出る。
 街はよく晴れていて、ぜんたいにクリーム色な感じである。
 クリーム色な中でくつしたと魚を買い、池のほとりをめぐって帰る。

 

六月某日 晴


 今日の街は、うす赤い感じ。
 うす赤い中で新幹線の回数券を買い、池のほとりをめぐって帰る。

 

六月某日 晴
 

 今日の街は、うす緑な感じ。
 うす緑の中で食パンを買い、銀行で記帳してから、池のほとりをめぐって帰る。

 

六月某日 曇
148a.gif 

 今日の街は、うす青い感じ。かなり「青黒い感じ」に近いが、やはりぜんぜんほんものの「青黒い感じ」とは違うのだと思う。
 ああ、どうか一度でいいから味わってみたい......「セックスのあとの青黒い感じ」。

沼の生きもの。

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七月某日 晴

 

 「沼に住む生きもの会議」に出席するよう、お隣から言いつかる。
 お隣は、地区班の班長なのである。
「いつもは、わたしが出席してるんだけれど、ちょっと腰を悪くしちゃって。まあ
、顔出せばそれですむから、お願い」

 沼。生きもの。まったく状況がつかめない。
「あ、あの、『沼に住む生きもの会議』って、いったい何なんですか」
「何って、沼に住む生きものがやってきて、いろいろ論議する会に決まってるじゃない」
 手をひらひらさせ、ほんとこの人は何ばかなこと聞いてくるの、という顔で、班長は答えた。
 それ以上何も聞けなくなって、すごすごと家に戻る。

 

七月某日 曇
 

 いよいよ「沼に住む生きもの会議」の日となる。
 ノートと、シャーペンと、消しゴムと、老眼鏡と、あとは念のために濡れティッシュ(なにしろ沼なので)と、それから仁丹(気つけ薬として)をかばんに入れてゆく。
 会場の公民館の受付で、名札を渡される。「七区班長」という札を胸につけ、ぐるりを見回すと、沼に住む生きものたちも、それぞれ胸に札をつけている。
「緑色の沼代表」
「泥沼代表」
「底無し沼代表」
「沼以下代表」
 などなど。

149b.gif 沼に住む生きものは、ほとんど人間と同じ姿かたちをしている。ただ、鼻が二つの穴だけであること、それから、水をしたたらせているため、足もとに小さな水たまりができていることだけが、異なる。
 今日の議題は、「歳末共同募金をお金ではなくモノで出すことの成否」。
 机の中央にはわら半紙が置いてあり、おせんべいや飴、干しぶどう、乾燥おたまじゃくし(沼の生きもの用と思われる)などが盛られているが、手を出す者はない。
 議題については、まず二区の班長が今までの議事進行をざっと説明したのち、「底無し沼代表」が意見を述べた。
「ようするに、沼の生きものは通貨を持たないので、沼に沈んだ、自転車・台所用品・おもちゃ・果物・布類などを再利用したい所存であります」
 底無し沼代表のその言葉に、会場はどよめいた。
 三時間、会議は続いたが、結論は出ないまま終わる(ただし、果物についてだけは、「断固再利用拒否」が大多数を占め、可決される)。

 

七月某日 晴
 

 お隣の地区班班長に、「沼に住む生きもの会議」の報告をする。
「ねえ、どの沼の生きものが、好きだった?」
 地区班班長は、目を輝かせて聞く。
「い、いや、みんな初対面なんで」
 へどもどしていると、地区班班長はにやりと笑い、
「わたし、泥沼代表が、けっこうタイプ」
 と言って、こちらの顔をじいっと覗きこんだ。

 

七月某日 晴

149a.gif 

 朝、ゴミを捨てに行くと、庭先にたくさんカエルがいる。
「カエルが」
 と、ちょうどゴミを捨てに来たお隣の班長に訴えると、班長はしばらくカエルを見つめたのち、
「泥沼代表が、ゆうべ真夜中にやってきたに違いないわ。ちっ」
 と舌打ちして、わたしをにらみつけた。
「きっと、気に入られたのよ」
 班長は吐き捨てるように言い、素早く自分の家に入っていった。
「ちっ」「ちっ」「ちっ」
 という、高らかな舌打ちが、班長の家からずっと聞こえてくる。カエルは、あわせて百匹ばかりが、元気にぴょんぴょんと跳んでいる。呆然と、たちすくむのみ。

大田原と、長谷川。

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八月某日 晴のち大雨のち曇


 下北沢に行く。
 突然の豪雨と雷雨のため、駅の前のお店で雨宿りをさせてもらう。
 洋服店である。
 スカートや、ブラウスや、Tシャツや、ズボンにまじって、ぬいぐるみも置いてある。
 とてもかわいくてきれいなので、
「売り物ですか」
 と聞くと、お店の人は静かに首を横にふり、
「いいえ、ここの住人です。ちなみに、その模様のあるヒトコブラクダは大田原、首の長い山羊は、長谷川といいます」
 と答えた。

 

八月某日 晴


 原稿が進まない。
 ネットで、「あなたが一番もてる年齢」というものを調べてみる。
 川上弘美は、六歳。

150a.gif ちぇっ、と言いながら、ためしに「かわかみひろみ」で調べると、こちらは、七十七歳。

 ちなみに、長男は八十六歳で、次男は十七歳(すでに終わって

いる)。
 ため息をついて、原稿に戻る。
 

八月某日 晴


 原稿が進まない。
 テレビでやっている世界陸上を見る。
「J・プタクコニコバ・スボボドバ」
 という人が、棒を使って高く跳んでいる。
 想像もつかない「J・プタクコニコバ・スボボドバ」さんの人生について、しばし思いをめぐらすが、やはりひとかけらも、彼女の人生は想像できない。
 

八月某日 晴
 

 原稿が進まない。
 なぜなら、頭の中に「しかるべき個室」という単語が充満しているからである。

 いったい何なのだろう、「しかるべき個室」。

 前ぶれもなしにその言葉は、頭の中に充満しはじめたものであり、このような現象はしばしば原稿が進まない時にあらわれる。非常に、困る。

 

八月某日 晴

150b.gif 

 原稿が進まない。
 京都の友人に、久しぶりに電話してみる。
 京都は、どうやらこの猛暑の年の東京よりも、さらに暑いらしい。
「一種の、生き地獄ですね」
 だそうだ。
 頭の中に充満する言葉が、「しかるべき個室」から「一種の、生き地獄」に変化したので、ほんの少し原稿が書きやすくなる。
 遅くまで原稿書きをして、少しビールを飲んで、眠る。
「一種の、生き地獄」という言葉が、眠りに落ちようとする意識のまんなかの、とおい向こうの方に、ぼんやりと浮かんでいる。安らかに、入眠。


 

赤いゾンビ、青いゾンビ。

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九月某日 晴
暑い日。
飲み会に行く。
帰ってくると、庭じゅうが草ぼうぼう。
むろん今日はじめてそのことに気がついたのではなく、夏じゅうずっと「ぼうぼうだ」 「ぼうぼうだ」「ぼうぼうだ」と、くよくよしつつ、けれど決して草むしりに手をつけよ うとしていなかったのである。
お酒を飲んで気が大きくなっているためか、突然草むしりを始める。
午前零時から、暗闇の中、一時間ほどむしり続けて、満足する。

 九月某日 曇り 
前の晩に草をむしったあとを、眺める。 
雑草は、たしかになくなっているが、ささやかに生えていた雑草ではない草まで、なくなっている。

 九月某日 晴 
抜いてしまった雑草以外の草を悔やんで、昭和天皇の言葉、
151a.gif
「雑草という草はない」 
を、ノートに何回も書いてみる。 
どんな草にも名前はあるのだという意味の言葉である。 
ということは、そもそも雑草をむしらなければならないと悩んだ自分が、まちがっていたのである。雑草は、抜かなくてもいいのだ。そうだ、雑草ではなく「バカナスビ」「ギシギシ」「チカラシバ」「オオバコ」「タケニグサ」「コニシキソウ」などが、狭い庭にけなげに咲き乱れていると思えばいいのだ。
十回、「雑草という草はない」と書いて、これを来年の夏の座右の銘とすることを、あらためて決意。

 九月某日 雨 
タクシーに乗る。 
とてもよく喋る運転手さん。
降りる時、生まれてはじめて、タクシーの料金をまけてもらう(百二十円)。
「なんか、楽しかったから」
とのこと。 
ちなみに、その時の運転手さんが喋ってくれたことは、以下の通り。

 1.ついおととい、「堺正章」を乗せた(「石坂まさを」も乗せたことがある)。
 2.若いころの恋愛観(今でいう「草食系」)。
 3.百万円もらったら、何に使うか(寿司を毎晩食べて、たまに高級焼き肉屋に行く。ギャンブルは、しない。余ったら、戦闘機のプラモデルを買う)。
 4.ゾンビの好き嫌い(青いゾンビにはなりたくないが、白や赤のゾンビならば、なってみてもいい)。
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たぬきの国勢調査。

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十月某日 晴


 はじめて仕事をする編集者と、打ち合わせ。
 仕事の話を少ししたのち、よもやま話。
「この前、島に行ってきましてね。ほら、ニュージーランドは、人の数より羊の数の方が多い、とか言うでしょう。それとおんなじで、その島は、人の数よりたぬきの数の方が多いんだそうです」
 と、編集者。
「それ、どこの島ですか」
「日本の、西の方にある島です」
「どうやってたぬきの数を数えるんですか。家畜じゃないから、数を把握しにくくないですか」
「さあ。国勢調査とか?」
 国勢調査? なんだか怪しい編集者だと内心で思いながらも、「たぬき」と、手帳に書きつける。

 

十月某日 晴
 

 この前の編集者のことを、思い返す。
 たぬきの国勢調査の話ののち、編集者は突然、
「オスプレイって、ミサゴって意味なんですよ。あの、鳥の。で、ミサゴは、ホバリングができるんです」
 と、ささやいた。
 ちなみに、ミサゴは、小説の打ち合わせとはまったく関係なし。そもそも「ミサゴ」という名前を聞いたのは、三十年ぶりくらい。

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十月某日 晴
 

 さらに、この前の編集者のことを、思い返す。
 ミサゴの話のあと、編集者はまた突然、
「この前、中部地方の島に行ったんです。ふぐが有名な島で。そこで、『ふぐの鶴盛りコンテスト』に弱冠二十三歳で入賞した若い板前に会いました」
 と、無表情で言った。
「鶴盛りとは、何のことですか」
 聞くと、編集者はまた無表情に、
「鶴が羽ばたいた形にふぐを盛りつけることです」
 と、しごく真面目に答えるのだった。

 

十月某日 曇
 

 引き続き、この前の編集者のことを、思い返す。
 ふぐの鶴盛りの話ののち、編集者はまた前置きなしに、
「木村拓哉って、池上季実子と同一人物ですよね」
 と言ったのだった。
 編集者をしているよりも、この人は幻想小説でも書いた方がいいのではないだろうか。

152b.gif 

十月某日 雨
 

 酔っぱらう。
 帰ってから、どうやって寝床に入ったのか、覚えていない。
 翌朝見ると、コート、くつ下、ピアス、iP
od、ティッシュ、眼鏡が、この順番で、床の上に、約三十センチ間隔で、生きもののように並んでいる。
 不思議なことに、シャツとズボンとカーディガンは、ちゃんとたたんで引き出しにしまってある。
 ちなみに、くつ下は、脱ぎっぱなしではなく、両方ともきちんと足のかたちに、平らにのしてありました。

 

近所のカップル。

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十一月某日 晴


「こないだ、夜の水道屋さんが来たの」
 と、友だち。
 夜の水道屋さん。それは、何のこと? と聞くと、
「真夜中でもやってきてくれる水道屋さんのこと」
 とのこと。
 仕事を終えて部屋に帰ったら、水漏れで床が水びたしになっていたので、驚いて電話帳を調べたら、夜の水道屋さんの番号が見つかった由。
「つまり、二十四時間営業なわけね」
 と言うと、友だち、ものすごく怒った顔になり、
「ちがうの、夜の水道屋さんなの」
 と否定。
153a.gif 夜の水道屋。そのようなものがあるのなら、夜のガス屋、夜の電気屋、夜の訪問販売、夜のちり紙交換、夜のさおだけ売りなども、あるのだろうか。
 嬉しいような、嬉しくないような。

 

十一月某日 晴
 

 実は、この半年ほどの間、観察を続けていたことがある。
 いつも乗るバス(同じ曜日の同じ時間)に必ず同乗している、一組のカップルである。
 最初、カップルは、カップルではなかった。
 六十代とおぼしき男性、そして超ミニをはいた、金髪縦ロールの四十代後半とおぼしき女性が、別々にそのバスに乗ってきていたのである。
 ところが一ヵ月ほどたったある日、ふたりはカップルになっていた。
 バス停前にあるベンチに、最初は並んで手をつないで座っていた。
 次に見た時には、金髪縦ロールが、男性の膝の上に乗っていた。
 一ヵ月後には、終点まで乗っていた金髪縦ロールが、男性の降りる途中のバス停で、一緒に降りるようになっていた。
 三ヵ月後には、女性の金髪が地味な茶髪に変わった。
 四ヵ月後には、女性の超ミニがただのミニに変わった。そして、いつも男性の前に立って歩いていたのが、男性の後につきしたがうようになった。
 五ヵ月後には、女性の方から積極的にがっちりつないでいた手が、つながれなくなった。そして、常に少しだけおどおどと恥ずかしそうにしていた男性が、顔を上げて歩くようになった。
 半年後の今日、女性と男性はまたカップルではなくなっていた。女性の髪はふたたび金髪縦ロールに戻り、スカートは最初の頃よりもさらに短いマイクロミニになった。男性の方は、目がうつろになり、白髪が急にふえていた。
 二人の今後の幸せを祈りつつ、そっと手のひらをあわせる。

 

十一月某日 雨
153b.gif 

 バスのカップル(元)を、引き続き観察。
 男性の髪が、明るい茶色のリーゼントになっている。
 それから、スーツのズボンがだぼだぼしたものになっている。
 あと、手首にじゃらじゃらと金色の鎖がまかれている。
 もしかして、復縁を願ってのことだろうか。いろいろ、譲歩する気持ちになったのだろうか。でも、明らかに方向が間違っている。
 おじさん、女性のファッションセンスは、どちらかというと、ゴス方面なのですよ。ヤ方面ではないのですよ。
 と助言したいけれど、もちろん不可能。
 女性の方は、十五センチほどのヒールの編み上げブーツに、真っ黒いエプロンのついた超ミニワンピース、黒い網のストッキング、二ヵ月ほど前のしょんぼりした感じはすっかり払拭され、のびのびとした表情で、バス停の前に群がるすずめを、足蹴にしていた。


 


タラ、買えず。

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十二月某日 晴
 
 忘年会。
 だいぶん酔っぱらってきた頃、なんとなくパンツとブラジャーの話になる。
 つねづね、
「勝負下着とか、世の女は頑張るけど、結局男なんて下着はさほど見ていないはず」
 とたかをくくっていたわたしなのであるが、その自説を開陳するための前ふりとして、
「ねえねえ、ブラジャーとパンツがそろってないって、どう?」
 と、男性陣に質問したところ、轟々の非難の嵐が。
「ブラジャーとパンツがばらばらな女なんて、許せない」
「セットじゃなくても、せめて色は統一してほしい」
「できれば薄紅色で」
「いや、金属みたく光ってるのがベスト」
「黒を男は好むって言われてるけど、ぼくは黒はいやだ」
 唾をとばさんばかりの勢いで、全員が言いつのる。
 それまでは静かに大人っぽく杯を傾けていたのが、嘘のような口角泡ぶりである。
 ちなみに、
「金属みたく光ってるのなんて、どこで売ってるのさ」
 と反論したところ、
154b.gif「どこでも売ってるに決まってる、西友とか」
 とのこと。本当に売ってるのか、メタリックブラジャーを、西友で?

十二月某日 晴
 
 近所の魚屋さんに行く。
 鱈を一匹、さほど高くない値段でせりに出ていたら、買ってきてもらう約束である。もしも高くて買えなければ、
「タラ、買えず」
 というショートメールをもらうことになっていたが、メールは来なかったので、いそいそと出かけて行ったのだ。
 ところが、鱈は高くて仕入れられなかったという。
「メール、来ませんでしたよ」
 と言うと、魚屋のおじさん、首をかしげる。
「出したよ」
 でも、来ていない。ということは、見知らぬ誰かの携帯に、
「タラ、買えず」
 というメールが、唐突に受信されたことになる。さぞ、怖かったことだろうなあ。

十二月某日 雨
 
 病院に、定期検診に行く。
 MRIを受ける。
 帰ってから、MRI友だち(やはり持病があって、定期的にMRIを受けている)に電話。
「あのね、実はわたしね」
「なに」
「MRIのあの、ガンガンガンガンっていう音」
「うん」
「大好きなの」
 世間さまでは、騒音だの気に障る音だの言うけれど、さまざまな音程のさまざまなリズムで響くあの音が、わたしは最初から大好きだった由を、告白したのである。
「あたしも、大好き」
 友だちは、すらりと答えた。
154a.gif「だってあれ、ノイズミュージックだもん」
 とのこと。そうか。あれは、ノイズミュージックだったんだ。目から鱗である。

十二月某日 晴
 
 大晦日。
 バスに乗る。
 メンチカツと柔軟剤の匂いのまじった娘さんの隣に座る。
 揚げ油と、中濃ソースと、フローラルがまじりあって、なんともいえない匂い。
 今年も一年、おつかれさまでした、と、世界に向かって、心の中で唱える。

とても大きくて、くさい。

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一月某日 晴


 ひょんなことから、名字も名前も知らない人と、昼食をいっしょにとる。
 いきさつは、ちょっと長い話になるから、省略。
 むこうも、もちろんこちらの名字や名前は知らない。
 カフェでベーグルを食べながら、「知らないどうし」の会話を模索する。
 結局、動物の話題におちつく。相手の人いわく、
「前に住んでいた家の近くには、孔雀がたくさん住んでいた。
中でも、一匹の雄(名前はピーちゃん)は、とても大きくて立派だった。
ピーちゃんが発情期になると、大量の雌がやってきて、いちにちじゅう交尾ダンスを踊った。
 発情期ではない時期は、ピーちゃんはじっと木にとまって、
とても大きくて、くさい糞を、いっぱいした」
とのこと。
対して、わたしも、
「吉祥寺の、夜中になると黒服の人がたくさん出てくる道ぞいに、
ハクビシンの親子が住んでいる。
どうやら親子は、古い銭湯の裏のしげみに住まいがあるもよう」
と、話す。
155a.gif二人で、ベーグルを食べながら、楽しくふんふんうなずきあって、交流を深める。
 人間、互いに名前も出自も職業も何も知らなくても、話題さえ的確ならば、なごやかな雰囲気のうちに、二時間くらいすぐに過ぎてしまうものなのであった。

 

一月某日 晴


 電車に乗る。
 三つ子のおばあさんが、乗りこんでくる。
 三人並んで、座席に座る。
 おそろいのコム・デ・ギャルソン(たぶん)を、着ている。
座るなり、一人がかばんから毎日新聞を取り出し、株式欄と、スポーツ面と、社会面にわけて分配する。
 読みおわると、順ぐりにまわしてゆく。
 降車駅がくると、三人とも同時に立ちあがり、新聞をくしゃりと小わきにかかえ、素早く降りていった。
 すべて、無言のうちに、おこなわれたことである。

 

一月某日 晴
 

  電車に乗る。
 三つ子のおばあさんのうち、二人が乗りこんでくる。
 並んで、座席に座る。
 おそろいのコム・デ・ギャルソン(たぶん)を、着ている。
座るなり、文庫本をそれぞれのかばんから取り出し、読みはじめる。
こっそり題を見たら、片方は東野圭吾の『白夜行』で、片方は東野圭吾の『容疑者Xの献身』だった。
降車駅がくると、二人とも同時に立ちあがり、文庫本を乱暴にかばんに押しこみ、素早く降りていった。
今回は、ひとことだけ、片方のおばあさんが本を読みながら、
「ぶわうっ」
と、うめき声のようなものを発していた。

155b.gif 

一月某日 雨

 

 近所の公園を散歩。
 昨年末に池の水さらいをしたため、底の泥がむきだしになっている。
むきだしになった泥に、雨がしめやかに降ってしみこんでゆく。
この数十年の間に池に住みついたけれど、今回、水さらいをして駆逐された、何千匹ものブルーギル・草魚・青魚・ブラックバス・カミツキガメなどの、冥福を祈る。
それから、また三つ子のおばあさんに会えるように、とも(あれからしょっちゅう電車に乗りにいって、おばあさんたちを待っているのに、以来一回も会っていないので)。

 

メタルスライム型。

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二月某日 雨のち晴

 

  奈良に行く。
「鹿寄せ」というものがあると聞き、見に行く。
 春日大社の横にある「飛火野(とびひの)」という野原で、「鹿寄せ」はおこなわれる。
 まず、お兄さんがホルンを取りだす。おもむろに「田園」の一節を吹く。すると、春日大社の森の奥から、鹿がわき出るように走ってくるのである。
 最初は大きな鹿、そして次には子鹿が、列をなして陸続と走り出てくる。
 なぜ「田園」?
 そして、なぜホルン?
 鹿らは、ホルンのお兄さんがばらまいたどんぐりをむさぼり食い、その後すみやかに去っていった。
 なんとなく、打ちのめされる。

 

二月某日 晴
 

 大群の鹿に打ちのめされた心をなぐさめようと、昨日の飛火野の一角にある「鹿苑(ろくえん)」に行ってみる。
 鹿苑は、獰猛な雄鹿や、妊娠している雌鹿を保護するための施設である。
 そこで学んだこと。
156a.gif  奈良の鹿はすべて野性(奈良市が飼っているのではない)。
  奈良の鹿の死因の第一位は、轢き逃げ。
 ますます打ちのめされ、その夜は猿沢の池の近くの飲み屋で痛飲。
「鹿、お好きですか」
 と、飲み屋の店主に聞くと、店主はしばらく考えてから、
「鹿せんべいって、すごくまずいんですわ。だから私は一生鹿にだけはなりたくないですな」
 とのこと。
 質問と答えとが、微妙にかみあっていない。
 奈良には一生かなわない、という心もちのまま、痛飲。

 

二月某日 大雪
 

 家にいて、降ってくる雪を眺めている。
 途中で少し小やみになったので、出ていって雪だるまを十体つくる。
 とてもとても小さな雪だるま(てのひらに載るくらい)である。
 玄関の横に並べる。
 また降ってきたので家に入り、景色を眺める。
 夜中、並べておいた雪だるまを見にいったら、その後降った雪にすべて埋まっていた。
 掘りだしたけれど、積もった雪よりもほんの少しだけ密度の高い雪のかたまりが、七つ、みつかっただけだった。

156b.gif 

二月某日 晴
 

 吉祥寺の町に出てみる。
 町なかで見つけたさまざまな雪だるまは、以下のとおり。
  ふなっしー型(彩色あり)
  くまモン型(彩色あり)
  トトロ型
  巨大な人型
  メタルスライム型
 ふつうの雪だるま型の雪だるまは、ほとんどない。いつの間に、雪だるま作りは、このように高度に進歩したのだろうと、途方にくれる。と共に、昨日雪に埋もれたうちの雪だるまのことが、たいそう不憫に思い出される。


 

小さなおじさんみたいな何か。

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三月某日 晴


 五人で、お酒を飲みに行く。
 瓶ビールを三本頼む。
 お店の女の人がお盆にのせて持ってきて、各人のコップについでくれる。
 けれど、わたしにだけはついでくれない。
 仕方ないので、自分でこぽこぽつぐ。少しだけ遅れて、乾杯に参加。

 

三月某日 曇


 打ち合わせで喫茶店に行く。
 コップの水が空になったので、お店の人がつぎにきてくれる。
 打ち合わせ相手の編集者のコップにはたっぷりとついだけれど、わたしの空のコップにはついでくれない。
 しかたなく、ほとんどなくなっている紅茶をずずっとすする。

 

三月某日 雨


 十人ほどでお酒を飲みに行く。
157a.gif またお店の人がわたしにだけお酒をついでくれない。
 連れたちも、空いたお猪口につぎたしてくれない(それぞれ同士ではつぎたしあっているのに)。
 この二週間ほど、そういえば外に出て、液体をついでもらう場面になると、必ずどの時もついでもらえずに終わっていたことを、あらためて思い出す。
 その旨、皆に報告すると、どの人も首をかしげたり笑ったりしていたけれど、一人だけが確信に満ちて、
「あのね、今月のあなたからは、『わたしにつがないでオーラ』が出てるのよ。もしついでほしかったら、オーラを消すことね」
 と断言する。
 どうやって消したらいいんでしょう、自分でも出ていることを知らなかった、そんなオーラを。


三月某日 晴


 また喫茶店で打ち合わせ。
 空のわたしのコップに、無事お店の人が水をついでくれる。
 ようやく消せたのだ、「わたしにつがないでオーラ」。
 けれど、いったいどうやって消し去ったのかは、不明。

 

三月某日 晴


 
また五人で飲み会。
157b.gif ふたたび「わたしにつがないでオーラ」が出はじめたらしく、お店の人はわたしを避けて他の人ばかりにビールをつぐ。
 乾杯に間に合うよう、またいそいで一人でこぽこぽ。
 もうオーラについては気にしないことにして、手酌でぐいぐいやる。
「あの」
 ずいぶん席が進んだところで、中の一人がわたしに耳うち。
「わたし、ちょっと霊感があるんですが、背後に小さな何かがいますよ」
 驚いて振り返るも、「小さな何か」など見えない。
「何もいませんよ」
「いえ、何かをこう、押し戻そうとしている、うっとうしいおじさんみたいな顔の、小さな何かが」
 怖いので、もう振り向かず、蒼惶とビールをすする。
 その夜は、帰ってから突然家計簿をつける。この一年ほど、ずっと家計簿をつけるのをさぼっていたのである。背後の、小さなうっとうしいおじさんみたいな顔の何か、どうかこれで許して下さいと心の中で唱えながら、
  ほうれんそう 198円
  アロエヨーグルト二個 240円
  マカロニサラダ 207円
  ノザキのコンビーフ 245円
  飲み会 5600円
 などの細目を、家計簿にていねいに書きつける。
 今月は、マカロニサラダ(マルナカ特製)を五回も買っていたこと、乾電池は量販店で買うべきだったのに面倒くさがってコンビニで高いのを買っていたこと、ふなっしーグッズを五千円ぶんも買っていたことを発見する。さらに深く反省しつつ、おじさんみたいな顔の何か、どうかこれで許して下さいと、心の中で唱え続ける。

 

日本のいちばん左側。

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四月某日 晴


 日本のいちばん左側にあるデパートは、どこ? 十秒以内に答えないと、呪われます。
 と、夢の中で言われている。
 答えられず、あせる。

 

四月某日 晴
 

 日本のいちばん左側にあるデパートについて、友だちに電話して聞いてみる。
「知らない。どっちでもいいし」
 という、そっけない返事である。
「それより、呪いといえばさ、ずっとあたしの中の懸案事項になってることがあって」
 友だちいわく、
 ――
人を憎むより憎まれる方がいい、という言葉があるけれど、それなら、人を呪うより呪われる方がいい、という言葉は、妥当か否か――
「ねえ、どう思う? あたしは個人的には、人に呪われるより、人を呪う方が、ずっと好きなんだけどさ」
 はあ、としか答えられないでいると、友だちはどんどん続ける。
「それにさ、人を呪うのって、人を憎むのより、ずっとすがすがしくない?」
「呪う、っていう字も、可愛いよね」
「れいの、阪神タイガースのカーネルサンダースの呪いは、三年後に解けるっていう噂、知ってる?」
「あたしこないだ、近所の猫を呪ったら、その猫の縞の色が次の週にはすっかり褪せてて、やっぱり自分には呪いの才能があるって思ったんだ」
「こないだネットで検索したら、『仕事運をあげる呪い』っていうのが載ってたんだけど、それって呪いなの?」
 果てしなくつづく友だちの「呪いばなし」を聞きながら、
(これこそが、日本のいちばん左側のデパートを答えられなかった呪いなんだろうな)
 と、心の中で納得する。

157a.gif 

四月某日 晴
 

 三軒茶屋に行き、お芝居をみる。
 終わってから、一緒に行った人たちと、そのあたりを散歩。
 銭湯の煙突があるので、入り口を探すも、見つからず。
 煙突のある一角を、ぐるりと三百六十度、さまざまな方向からみんなで何回も歩きまわってみたのだけれど、どうしても発見できない。
 そのあと、居酒屋に入って、飲み。
 夜がふけてきたころ、一人が突然、
「実はあの銭湯、夜中の二時すぎに行くと、ちゃんと入り口が見つかるんですよ」
 と言いだす。
 冗談だろうと思って、ほかの人たちの顔をみまわすと、どの人も、しごく当然という表情で、うんうん頷いている。
(あっ、きっとこれも、呪いだ)と思いながら、無言で日本酒のぬる燗をすする。

 

四月某日 雨
 

 突然の豪雨。
 ワンメーターで申し訳なかったけれど、タクシーに乗る。
 用事をすませ、まだ雨が降っているので、次の目的地まで、またタクシーに乗る。
 そこで用事をすませ、しかし雨は降りつづいていたので、家までの帰り道タクシーに乗る。
157b.gif 驚いたことに、そのタクシーが、すべて同一のタクシーだったのである。
 運転手のおじさんは、二回めにわたしが乗った時には、
「やあ、ものすごく偶然ですね」
 と喜んだのだけれど、次にまた乗った時には、
「あっ」
 と息をのんで、料金を告げるまではひとことも喋らなかった。
 これもやはり、呪いの一種か!?

明滅するネオンサイン。

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五月某日 晴

 ちょっと用件があり、平凡社の担当のひとに電話をかける。
「今日は、メーデーの行進に出かけておりますので、不在です」
 とのこと。
 そういえば、三年前に行ったニューヨークで、メーデーの行進を見たのだった。
 行進はとてもばらばらで、てんでにハンバーガーを食べたりコーラを飲んだり、音楽をかけて踊りながら歩いたり、まだそんなに暑くないのに水着のようなものを着て浮かれたりと、しごく自由自在だったのだけれど、最後尾に数名の「お掃除屋さん」がつき従っていて、散らかしたハンバーガーの包み紙やペットボトルや紙屑などを、すべてきれいに掃き清めながら一緒に歩いていたことを、突然思い出す。
159a.gif

五月某日 晴

 メーデーの翌日。
 平凡社の担当のひとに電話をかけて、用件を相談。
「で、メーデーは、いかがでしたか」
 と聞くと、担当の人、ものすごく嬉しそうに、
「楽しかったです!」
 けれど、お掃除屋さんはいなかったとのこと。おまけに、水着のひとも踊っているひとも、いないとのこと。
 メーデーというものに参加したことがないので、嬉しそうな担当のひとの様子が、ねたましい。ので、腹いせに、
「ニューヨークに負けてるではありませんか」
 と当たり散らしたけれど、担当のひと、すずしい声で、
「そうですねえ、では来年はもっとがんばりますね」
 と、落ち着きはらった様子。
 参加してがんばることができない自分のことを思い知らされるようで、ますます、ねたましい。

五月某日 晴

 ひとさまを謂われなくねたんでしまったことを、いちにち反省。
 夕飯にと、小松菜をゆで、魚を焼く。そらまめも、ゆでる。
 銘銘皿にわけて食べはじめるうちに、家人のそらまめの方が、おいしそうにみえはじめる。焼かれた魚の具合も、わたしのものよりずっとつやつやしているように感じられる。
 しばらく我慢していたけれど、ついに耐えきれず、
「そ、そっちの方が、お、おいしそう」
 と、つぶやく。
「じゃ、交換する?」
 と言われ、交換するが、元々わたしのものだった向こうのお皿のおかずの方が、やはりおいしくみえてしまう。
「やっぱり、そ、そっちの方が、お、おいしそう」
 ふたたび、訴える。
 不興をかって、食事のあいだ、ずっと黙りがちに。

五月某日 晴

「この前の食事の時は、いたたまれなかったので、これからは自分で好きな方を選び取るように」
 と、家人に言われる。
 が、そもそも料理をするのはわたしであり、お皿に取り分けるのもわたしであり、そのお皿を誰に配膳するのかを決めるのも、わたしなのだ。
 それなのに、自分のものでないものの方がやたらにおいしそうにみえる、これはもしかして何らかの内なる悩みの表出ではないのか!?
 内なる悩み、という名前がついたので、ちょっといい気分に。
 夕方、また小松菜をゆでる。いい気分のまま、鼻唄をうたいながら夕飯。怪しまれるが、かまわず機嫌よく食事。
159b.gif

五月某日 晴

 内なる悩みについて、いろいろ考える。
 二時間ほど考えるが、自分の内なる悩みについて、思い当たることが一つもない。
 それと別に、
(年とってひがみっぽくなった)
 という言葉が、遠くのビルで明滅するネオンのように、ぽっかりと心の中に浮かびあがってくる。
 ちがうちがう、内なる悩み内なる悩み、と、ネオンの文字を打ち消すが、どうやっても明滅は消えない。
 夕方、またまた小松菜(三日続けて)をゆでる。
 一人でひっそり食べていると、さらに
(年とって同じことばかり繰り返す)
 という言葉が、
(年とってひがみっぽくなった)
 の文字に並んで、明滅しはじめる。
 あわてて小松菜をほおばり、文字を打ち消そうとするも、しぶとく消えず。もうこれ以上明滅が増えないよう祈りながら、粛々と小松菜を噛む。

カモシカに衝突。

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六月某日 晴

 平凡社から、封筒がくる。読者の方からのお葉書の転送である。
いつか募集した、「遠くからリモコンの遠隔操作でパソコンの首を振らせることの必然性」(『東京日記4 不良になりました。』43ページ参照)の答えを考えて下さったとのこと。
「家人が怪しいサイトなどを見ているとおぼしき時に、突然首を振らせて動揺させる、というのはどうでしょう」とある。
 実際の場面を想像してみる。
 わたしは隣の部屋にいて気配を消している。
 いよいよサイトに接続されたもよう。家人、熱心に見入る。
 リモコンで、ほんの数センチだけ、首を振らせてみる。
 家人、一瞬ぴくりとするが、まさかリモコン操作されているとは思わず、すぐにまた画面に向き直り、見入る。
 さらに数センチ、首を振らせてみる。
 家人、あたりをきょろきょろ見回すが、気のせいだと決めて、また画面に。
 今度は、突然一回転させてみる。
 家人、驚きのあまりひっくりかえる。意味わからん、という顔で呆然。五分ほど静観したのち、ふたたびそろそろと画面に戻る。
 大きく息をすったあと、おもむろにパソコンを連続無限回転モードに設定。
 ......家人、気絶。
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 メーカーには、ぜひ無限回転モードのあるリモコンつきパソコンを製造してくれるよう、これからも毎日オーラを送り続けようと、強く決意。お葉書、ほんとうにありがとうございました。

六月某日 雨

 雨が降っているので、いつもは歩くところを、シティバスに乗る。
 シティバスというものは、おおむね普通の路線バスよりもゆっくり静かに運行されることが多いような気がするのだけれど、珍しくスピードを出す運転手である。
 乗客は、わたしとあと一人。
 しばらくすると、あと一人の乗客であるおじいさんが、つと立ち上がり、運転手の真横までゆく。そして、ものすごく嬉しそうに、
「君の運転、いいねえ。いいよ。とてもいい。バスはこういうふうに猛スピードで走らなきゃ。せっかくのバスなんだからさ」 
 と、褒める。
 運転手、無言で運転を続行。スピードはさらにあがってゆく。おじいさんは楽しげに手をたたき、足を踏みならし、傘で拍子をとる。
「いいねえ、ほんとにいいよ。ああこれがバスってもんだよ」
 猛スピードで過ぎてゆく車窓を、雨粒がななめに流れてゆく。おじいさんは、歓喜の雄叫びをあげつづけている。

六月某日 雨

 電車に乗る。
 ダイヤが乱れている。
「カモシカの衝突によるダイヤの乱れでご迷惑をおかけしております」
 との車内放送がかかる。
 
六月某日 雨

 手帳に、
「救心を飲んだおかげで、犯罪者になることをまぬがれました」
「真珠、ジャコウ」
 と、書いてある。
160b.gif
 昨夜、編集者と打ち合わせをして、お酒を飲んだ時にそのことを聞いて手帳に書いたことは覚えているのだけれど、なぜその編集者が犯罪者になるところだったのか、そしてなぜ救心がそこに関係しているのかが、さっぱり思い出せない。
 電話して聞いてみようかとも思うけれど、なんとなく怖くて、聞けない。
 ちなみに、「真珠、ジャコウ」は、八つある救心の漢方成分のうちの、二つでした(救心ホームページを熟読して解明)。
 


パンツの定位置。

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7月某日 晴
 
 街に出て、おそばを食べる。
 店を出てから、しばらく散歩。
「アミノ酸会館」というビルを見つける。
 アミノ酸会館ビル。いったいどのようなことが、ビルの中でおこなわれているのだろう。
 アミノ酸の製作。
 アミノ酸の有効活用についての会議。
 世代別アミノ酸摂取傾向の調査。
 アミノ酸と日本人についての研究。
 日本アミノ酸教団の秘儀。
161a.gif
 いろいろ想像しながら家路をたどり、帰ってからパソコンで検索すると、ビルは約50年前に建ったもよう。50年も前から、アミノ酸活動はおこなわれているのであった。

7月某日 晴
 
 仕事で何人かの人に会う。
 中の二人(五十代と六十代の、それぞれ男性と女性)が、近年タップダンスをはじめたとのこと。
「タップダンスのこつは、何ですか」
 と聞くと、五十代の男性の方が、
「足首から先に力を入れないようにして、自然にしていることです」
 と、教えてくれる。
 さらに、六十代の女性の方が、眼を輝かせながら、
「そのとおり。足首から先には、死んだ魚をぶら下げているような気持ちでいることが大事なの」
 と。
 タップダンスを踊っている人たちの足先は、みんな死んだ魚だったのか!?
 びっくりして、しばらく放心。その後仕事の話が始まってからも、
(死んだ魚)
(死んだ魚)
 と、タップの二人をちらちら見ながら、心の中で繰り返す。

7月某日 晴
 
 ためしに、自分の足先が死んだ魚になったと想像してみる。
 しばらく想像してから、そっと足先をさわってみる。
 こころなしか、ちょっとぬるぬるしていて、ひやっこい。
 うろこっぽいでこぼこも、感じられる。
(死んだ魚)
 もう一度心の中でつぶやき、うっとりとする。

7月某日 雨
 
 取材を受ける。
 のっけから、
「カワカミさんは、セックスの時に脱いだパンツの定位置が、枕の下なんですか」
 と、真面目にきかれる。
161b.gif
 以前書いた長篇『これでよろしくて?』の主人公が、そのような性癖をもっているから、作者もそうであるかもしれないと推測しての質問らしい。
 全世界のみなさん。小説の主人公の人生が、作者の人生と重なっているという確率は、ごくごく低いです。でないと、わたしは、蛇女と暮らしたことがあって、河童の世界にも行ったことがあり、死んだ叔父さんとはしょっちゅう会っているし、ほろびかけた世界(東京タワーはすでに壊れている)で一人暮らししていて、かつ57回くらい失恋をしたことがあって、Z会の添削をおこなってもおり、そのうえ人材派遣会社を経営していることになります。
 取材後、仕事の打ち上げへ。
 たくさん飲んで酔っ払い、みんなのパンツの定位置をききだす。

ザリガニカレー。

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 八月某日 晴

 

 近所の子どもと話をする。

「幼稚園、何組なの?」

「ぶたぐみ」

「えっ」

「その前は、ねこぐみ」

 子どものつくりばなしではないかと、一緒にいるお母さんに、こっそり目でたずねる。

(ほんとうです、今年は豚組、去年は猫組です)

 と、お母さん、目ではっきりと肯定。

 


八月某日 曇


 ワープロが壊れる。

 わたしは、パソコンではなく、昔ながらのワードプロセッサー機で文章を書いているのだ。

 もう製造されていないので、壊れるとものすごく困るなあ、でもきっと壊れないに違いない、と、根拠のない希望をもって生きていたのが、突然裏切られたのである。

 困り果て、逃避のため外出。近所の公園の池のまわりを三周してから、帰る。

 おそるおそる部屋に戻り、ワープロをさわってみる。

(もしかすると、自然になおっているかも)

162a.gif

と、ひそかに期待していたのだけれど、もちろんワープロは壊れたまま。

 がっくりきて、1時間ほどうつぶせに寝そべって嘆き悲しむ。


八月某日 晴

 

 逃避のため、渋谷に行く。

「ザリガニカフェ」というお店があったので、入ってみる。

 メニューにあった「ザリガニカレー」を頼むも、ザリガニ入りではなく、普通のカレー。

 友人にザリガニマニアのひとがいるので、「ザリガニカフェ」に行った旨、メールする。

 すぐに返事がくる。

「そのカフェは名前こそザリガニですが、ほんもののザリガニとは何ら関係がありません。注意するように」

 とのこと。

 マ、マニアのひとは、き、きびしいなあ、と、どきどきしながらザリガニカフェをみまわす。客入りは上々、多くのひとがザリガニカレー(ザリガニぬき)を食べながら、和気藹々と過ごしている。突然、ワープロが壊れてしまって原稿が書けないので逃避してふらふらとザリガニカフェに入っているのだという、自分の現実に引き戻される。

 ひがんだ気持ちになり、(ほんもののザリガニとは、何ら、関係なしっ)と、心の中で当たり散らす。


八月某日 晴

 

 ついに自然治癒をあきらめ、ワープロを修理に出す。

 運送会社のお兄さんの手によって運び去られたワープロを見送ったのち、2時間ほどうつぶせに寝そべって嘆き悲しむ。

 その後、締め切りのせまっている原稿の担当者各位へ、ワープロが壊れた旨を報告するも、ほとんど同情を得られず。

162b.gif

「ほーそうですか」

「でもパソコンはあるのでしょう」

「そもそもワープロ打ちの原稿を刷りだしたものをファックスで送ってもらうよりも、パソコンの原稿をメールしてもらった方が、印刷へまわす時にずっと簡単で、おまけに正確を期せますし」

「えっ、まだワープロだったんですか」

「ワープロって何ですか」

 などなどの反応に、すっかりひがんだ気持ちに。

 夕飯を作る気力を失い、枝豆を二袋ゆで、それをもって夕飯とする。


ヨウジウオと蓄音機。

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九月某日 晴

 最近、ますます記憶力がにぶっている。
 たぶん、わたしの記憶容量がいっぱいいっぱいになっていて、これ以上何かを脳みそに定着させようとしても、はじき出されてしまうのだと思う。
 それならば、いらない昔の記憶を消去すればいいんじゃないかと思いつき、「いらない記憶」について、いろいろ思いめぐらせてみる。
 五分ほど試しているうちに、ものすごく暗い気持ちになって、はんぶん気を失いそうになる。

九月某日 晴

 吹き出した「過去の記憶」のせいで、一晩中悪夢にうなされる。
 とても小さくてかゆそうなものや、とても大きくて黒々したものや、とても四角くてビカビカ光っているものや、とても柔らかくてくさいものなどが、入れ替わり立ち替わり、あらわれる。
 寝不足で、ぼんやり。かかってきた電話に、「はい、ヤマダです」と答えてしまう。
 ヤマダは、旧姓。ものすごく久しぶりに「ヤマダ」という名前を発音したので、ちょっとなつかしくて、「はい、ヤマダです」と、電話を切ってからも、何回か、こっそり言ってみる。ヤマダとして生きていた28年間の過去が、ふたたびゆらゆらとたちのぼってくる。
 あう、と言って、あわてて仕事に戻る。
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九月某日 晴

 ようやく「過去の記憶」の噴出が止まる。
 けれど、時おり、何の脈絡もなく、
「あたりきしゃりき車ひきブリキにたぬきに蓄音機」
 とか、
「おそれ入谷の鬼子母神、そうは有馬の水天宮、その手は桑名の焼き蛤」
 とかいう妙に古くさい決まり文句が、口をついて出る。
 こういう何の役にもたたない記憶が、わたしの脳みその中にはぎっしり詰まっているので、新しい記憶がもう入りこむ余地がないのだなあと、うらがなしい心もちに。
 でもまあ、とても小さくてかゆそうな記憶やら、とても四角くてビカビカ光っている記憶がよみがえってくるよりはマシなので、よしとする。

九月某日 曇

 友だちとお酒を飲む。
 大きな身振りで、友だちに何かのことを説明していると、隣に座っているおじさんの肩に、腕がふれてしまう。
「お願いですから、さわらないで下さい」
 と、おじさんに言われる。
 とても、礼儀正しい口調で、言われる。
 ショック。
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九月某日 曇

 今月の、あれこれのショックやら噴出やらを祓う意味で、大掃除。
 ベッドの下から、ヨウジウオ(タツノオトシゴの仲間で、とても細長くて口がとがっていて黄色い)の標本写真が出てくる。
 どこで手に入れたかは、もう覚えていない。けれど、数ヶ月前にこの写真を手に入れてとても喜んでいる自分の映像が、脳みその中に一瞬の間だけ保存されていることを、感じる。
 写真のほこりを払い、ヨウジウオをしばらくじっと眺め、けれどもう喜びはわいてこないことを確かめ、そっとゴミ箱に捨てる。

心的負担。

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十月某日 晴

  レンタル山羊について。
  庭の雑草を食べてもらうために借りる。
  永久に飼うのではないので、心的負担が少ない。
  子供の情操教育にもよい。
  レンタル期間は、1日から半年。
 という内容のことを、知人が教えてくれる。
 知人は、夏場の雑草の繁茂が激しい時期にレンタルして、とても重宝したそうだ。
(心的負担)
 話を聞きながら、心の中で繰り返してみる。

十月某日 晴
 
 昨日聞いたレンタル山羊のことは、もしかすると夢だったのかもしれないと疑い、ネットを検索してみる。
164a.gif
 あった。
 心的負担が少ない、という言葉も、明記してある。
 レンタル料金は、個人は3000円、法人は10000円。
 申し込み多数のため、今年はすでに貸し出しを終えているとのこと。
「ヤギは生き物ですので、1日1回は必ず山羊の様子を見てください」
 と、注意書きがある。
 ヤギが生き物ではなく、レンタル物品だと勘違いする借り主が、過去にいたのだろうか。いろいろどきどきしすぎて、夜の寝つき、悪し。

十月某日 雨
 
 中央線に乗る。
 駅中の蕎麦屋に、バイト募集の紙が貼ってある。
「主婦(夫)募集」とある。
 その正しさに、感じ入る。

十月某日 曇
 
 歩いていると、小さな居酒屋があり、黒板に今日のおすすめが書かれている。
「かきのたね 100円
 ピクルス 100円
 しょうゆトースト 300円」
 しょうゆトースト、のところには、(いそべ焼のような和風トースト)との説明も。
 開店は夜十時。目の前にあるにはあるのだが、はたしてこの店は実在のものなのだろうか。

十月某日 曇
 
 近所に住んでいる、三人のこどもを育てている女の人から聞いた話。
 こどもを連れて歩いていたら、見知らぬおじさんが寄ってきて、千円札を一枚、さしだした。
164b.gif
 怖いので、逃げようとすると、
「怪しい者ではありません。がんばってもらいたいので」
 と、千円札を彼女におしつけ、駆け去った。
 少子化を憂えるおじさんか、あるいは、ランダムに千円札をばらまくのが趣味のおじさんなのか、あるいは、ただの酔っ払いか。
「千円札、どうしました」
 と聞くと、
「交番に届けようかとも考えたんですが、あらましを説明するのが面倒なので、額に入れて家族写真と一緒に飾ってあります」
 とのこと。

鴨の天下。

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十一月某日 晴

 友人たちとの会食のために、久しぶりに胸元のあいたセーターを着る。
 せっかくあいているので、こちらもめったにつけないタイプの、胸が寄せられてあがるブラジャーをつけてみる。
 胸の谷間が、できる。
 ほくほくして、会食のお店へ。
 和食である。いつものような町の居酒屋ではなく、つきだし、お椀、などというものの出てくる、正式っぽい和食屋である。
 胸の谷間の存在と共に、すっかり大人の気持ちになって、きどって箸などを使う。
 家に帰り、着替えをすると、寄せられた胸元の谷間から、白いものがぽろりと落ちる。
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 焼き魚の大きなかけらであった。
 歯に青海苔がつくように、髪に落ちてきた鳥のふんがつくように、胸の谷間にずっと焼き魚の大きなかけらがくっついていたことを、どうして同席の人たちは誰も指摘してくれなかったのか!?
 うらみます。


十一月某日 曇

 散歩に行く。
 公園で、赤ちゃんを乗せたベビーカーと、何台もすれちがう。
 一人用のベビーカーだけでなく、ふたご用の横並びベビーカーともすれちがったし、ふたご用縦並びタイプともすれちがう。
 赤ちゃんはかわいいなあと、平和な気分で歩きつづけていると、また正面からベビーカーが。
 こんどはどんな赤ちゃんが乗っているのかな、男の子かな女の子かなと、のぞきこむ。
 うさぎだった。
 巨大な、白地に黒のぽつぽつのとんだ、凶悪な顔つきのうさぎが、ベビーカーのまんなかに、堂々と座っているのだった。


十一月某日 雨

 また散歩に行く。
 雨ふりのせいか、公園には人影がない。
 池の鴨が、いつもより活発。
 ぎゃあ、と鳴いてつっつきあったり、突然水面から離陸して低空を飛びまわったり、群れになってぐんぐん一方向に泳ぎまわったり。
 人類はほろび、鴨の天下になって彼らが勝ち誇っているのだと想像しながら、はしゃぎまわる鴨らに眺めいる。
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十一月某日 晴

 誰も乗っていないバスが、道を走っている。
 行き先表示のところに、「教習車」とある。
 バス教習の、路上課程なのだろう。
 バス教習にも、クランクや縦列駐車や坂道発進の練習があるのかなあ、あるんだろうなあ、さぞ難しいだろうなあ、バス講習では骨折の応急処置なども習うんですよ、と、いつか知人が教えてくれたなあ、などと、とりとめもなく思う。
 そういえば、ずいぶん昔に、終バスで乗客が自分一人になった時に、運転手さんが、
「次は○○、終点です。遅くまでおつかれさまでした。お気をつけて」
 と放送してくれたっけ。
「次は○○、終点です」までは、いわゆる「運転手さん的抑揚」だったけれど、「お気をつけて」のところは、地声だった。
 全国のバスの運転手さん、ダイヤとか混雑とかいろいろ大変でしょうが、どうぞがんばって、体を大事にしてくださいね。

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